”べき思考”にとらわれると、仕事も趣味も楽しめなくなります。
こんな方に読んでほしい!
◎静岡市近郊で営業中
◎従業員数30名以下
◎活気ある職場づくりを通して業績アップにつなげたい
◎ご年齢が30-50代の代表者様
こんにちは。社会保険労務士の杉浦です。
考え方に柔軟性がなく、自分や他人を「〇〇すべき」と批判してしまうことはありませんか?
こうした考え方を、メンタルヘルスマネジメントの世界では、「べき思考」というように表現することがあります。
実際は、そこまで義務とするような(考え方にがんじがらめになるような)出来事ではないにもかかわらず、「○○はこうあるべき」「私は△であるべき」と縛り付けてしまうことで、自分や周りを苦しい気持ちにさせてしまうのですね。
枠から外れたことは世の中いくつもあって、どれが絶対に正しいということはないと思います。
その人の数だけ、その人なりの正解があるということです。
職場では、ルールとしての「こうするべき」と、必ずしもそれにとらわれることが効果的ではないかもしれない「こうするべき」の2つがあります。
疑問に思えば、声に出して「そもそも、どうしてこうあるべき何だっけ?」を見つめ直すのも良いのではないでしょうか?
また、趣味や家庭生活でも、「べき思考」に囚われてしまうと、思うように楽しめません。
「テーマパークに来たからには、全部乗って満喫すべき」
「新参のファンよりも、古参のファンの方が立場が上であるべき」
「演出の意図・演奏の背景を読み取って鑑賞するべき」
「計画を立てて出かけたのだから、ちょっと大変でも守って過ごすべき」
など、身近にもいろんな「べき思考」が潜んでいることがあります。
でも、本当にそうすべきかどうか、怪しいものもありそうです。
「これくらいでも十分OK」のような弛み・ゆとりがあると、自分にも他人にも寛容になり心に余裕が生まれます。
「全部乗れなくても、メインどころは乗れたからOK」
「どちらも同好の士、お互いがお互いの好きを持っていればOK」
「深読みできなくたって、『楽しかった』『感動した』くらいの感想でもOK」
「計画外のことも、思い出の1つにできるからOK」
もし今の暮らしの中で、モヤモヤや引っ掛かり、重荷に感じていることがあれば、その裏に「べき思考」が隠れているかもしれません。
「100点は○○だけど、□□あればよい」程度の言い方に変えてみましょう。
自分も周りも、適度な余裕を許せるようになると、重荷も少し軽くなると考えます。
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